京阪電車は伏見中学同窓「すみれ会」の時にも年に何度か乗るが、大阪「京橋」
からの往復が多く、今回、京都「祇園四条」から南へ向かうというのは何年
ぶりだろう・・・
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電車通学に憧れたのと、女子高とはどんなものか・・・女子高へ行くなら「京女」
という思いと興味があって受験し、市立伏見中学を卒業した後、「丹波橋」から
「七條」まで京阪に乗って「京都女子高校」に通学した。

今から思うと、家は裕福でもなかったのに、私学で学費も公立より高かった
だろうし、学割とはいえ、通学定期代もかかったのに、滞納することもなく、
3年間よく通わせてもらえたと心から感謝する。
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子どもというのは、前後を何も考えないで勝手な要求を親に出していたものだ。

その頃の高校への進学率はまだ50パーセントいっていたかどうかという時代。
裕福な家庭の子でも、勉強が嫌い・・・と中学で終わって就職した子もいた時代。
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今回の同窓会にはそのいつも通っていた区間を通って一つ手前の「墨染」で下車。

「四条」が「祇園四条」となり、「五条」も「清水五条」と変わり、閑散として
いた「東福寺」の駅は、紅葉にはまだ早いだろうに上下線ともごった返していた。

最近、紅葉京都一とか日本一とか、マスコミでとり上げられるからだろうが・・・
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ほとんど人影がなかった次の「鳥羽街道」まで、結構、乗り降りする人がいた。

次は「伏見稲荷」、駅は大規模な工事をやっていたが、ここは今は世界中の人が
集まっているのだろう。

昔は、お正月初詣や祭事のある時は大賑わいだったが、普段はひっそりしていた。

昨日は、駅も踏切通過で見えた参道も、雨でも人が溢れかえっていた。
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そして思い出深い「深草」の駅。
小さい頃、母親に連れられて何度も乗り降りした駅。

駅の東側には疎水が流れていて、その疎水を渡ったあたりに、姉妹のいない私が
憧れの、大好きな14才年上の従姉がひっそりと暮らしていた。
名前が漢字とカタカナの違いこそあれ、私と同じ名前だった。

相撲取り時代の「力道山の奥さんになる!」と子供心に信じていたのだが、3人の
子どもを授かりながら、子供たちは涙ながらに向こうへ引き取られ、“影”のまま
終わった人。
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私の母の妹、つまり寺町の「叔母さん」の娘で、今なら関取の奥さんというと、
異議を唱える人はいないだろうが、その頃は若干蔑んでみる人がいて、陶磁器関係
の大きな商家で、跡取りの長兄が猛反対で無理やり引き裂かれてしまったらしい。

今は昔、そんなご時世があったのだ。
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「叔母さん」がそこへ来ると呼んでもらって、母親とお邪魔しては子供たちと遊んだ
思い出の地「深草」

次は「藤森」、紫陽花や“かけ馬神事”で有名な「藤森神社」が近くにある。
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ここまでは京阪の駅で二駅分ほどあるのだが、わが家の氏神さんだった。

昔は5/5、“こどもの日”がお祭りの日で、お神輿も出て、境内いっぱいに沢山の
露店が並び、“お化け屋敷”や、今は見なくなった“覗きからくり”なども懐かしい。
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前日に、母親が沢山の鯖を酢漬けにして竹の皮に包んだ「鯖寿司」を作り、親戚や
近所に配る役目は私だったが、先方さんでお駄賃を貰えるのがとても嬉しかった。
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次が同窓会会場の「清和荘」の最寄り駅「墨染」、高校時代や就職後乗降していた
「丹波橋」がその次で、今は特急停車駅になって、近鉄電車と連絡通路で繋がって
いるが、当時は急行停車駅で、「近鉄」(昔は「奈良電」といった)には一旦駅を
出て東に移動しないといけなかった。
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実家の跡地が今は“更地”になってしまったのが淋しいが・・・これも世の流れ・・・

5人兄弟の末っ子、女一人、4人の兄たちはすでに黄泉の国へ旅立ち、好きなお酒を
賑やかに呑み交わしていることだろう・・・

いろいろ回想すると、良いこと、悪いこと、何もかもが懐かしい・・・



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by kokko48513 | 2017-10-30 15:47 | 雑記帳 | Comments(0)