2018年 01月 17日
「阪神淡路大震災」から23年・・・
イコール、わが家が“終の棲家”として宝塚に住み始めて丸23年と
いうことになる。
前年1994年11月に三重県鳥羽市から転居してきて、年が明けて、
わずか2か月経った時に見舞われた大惨事。
転勤族のわが家、友人たちに「大震災に会うために宝塚へ引っ越し
したわね」と言われ、不自由な生活が続く中、三重県度会郡南伊勢町
(当時は南島町)の夫の実家で娘と二人でしばらく避難生活を送った。
今は亡き夫は、その当時単身赴任でヤマハリゾートの屋久島のホテルに
勤務中。
たまたま、浜松の本社での会議を終わって、屋久島へ戻る前のひと晩だけ
帰宅していて遭った大震災。
息子は石川県・金沢の大学に在学中で、あんな大惨事になっているとは
つゆ知らず、朝寝を決め込んでいたらしい。
無事を知らせようとしても電話は繋がらず、公衆電話も長蛇の列、携帯も
ない時代、京都に暮らす娘の友人を介して家族の無事を知らせてもらった。
'94年11月まで大阪で一人暮らしをしていた娘は、あの日が大学の「卒論提出」
ていたのだが、丁度、トイレに起きだして用足し中に遭遇した大震災、大きな
ご加護があってこその今ある命・・・感謝しきれるものではない!
夫は2000年12月に“食道癌”で56才の若さで先に旅立ったが、私や子供たち、
それぞれの家族も今、無事に暮らせていられることに感謝したい。
絶対に忘れてはいけないこと!!