「阪神淡路大震災」から23年・・・

1995年1月17日午前5時46分の「阪神淡路大震災」から23年。

イコール、わが家が“終の棲家”として宝塚に住み始めて丸23年と
いうことになる。

前年1994年11月に三重県鳥羽市から転居してきて、年が明けて、
わずか2か月経った時に見舞われた大惨事。
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転勤族のわが家、友人たちに「大震災に会うために宝塚へ引っ越し
したわね」と言われ、不自由な生活が続く中、三重県度会郡南伊勢町
(当時は南島町)の夫の実家で娘と二人でしばらく避難生活を送った。

今は亡き夫は、その当時単身赴任でヤマハリゾートの屋久島のホテルに
勤務中。

たまたま、浜松の本社での会議を終わって、屋久島へ戻る前のひと晩だけ
帰宅していて遭った大震災。
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息子は石川県・金沢の大学に在学中で、あんな大惨事になっているとは
つゆ知らず、朝寝を決め込んでいたらしい。

無事を知らせようとしても電話は繋がらず、公衆電話も長蛇の列、携帯も
ない時代、京都に暮らす娘の友人を介して家族の無事を知らせてもらった。

'94年11月まで大阪で一人暮らしをしていた娘は、あの日が大学の「卒論提出」
最終日で、ガス漏れで臭い街中を、屋久島へ戻る夫を“伊丹空港”に送り込み、
娘を大阪・住吉区の大学まで乗せて往復したのだが、朝から走り出して、宝塚に
帰り着いたのは、大渋滞続きで次の日になっていた。


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県外から応援の消防車や救急車、パトカーなどが多数、兵庫に向かって走って
下さっていた感動の風景を今も忘れない。

私の寝ていた寝具の上には、布団の見えない状態に大きな重い箪笥が2棹倒れ
ていたのだが、丁度、トイレに起きだして用足し中に遭遇した大震災、大きな
ご加護があってこその今ある命・・・感謝しきれるものではない!
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夫は2000年12月に“食道癌”で56才の若さで先に旅立ったが、私や子供たち、
それぞれの家族も今、無事に暮らせていられることに感謝したい。

絶対に忘れてはいけないこと!!

亡くなられた皆さまのご冥福をお祈りして・・・合掌

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by kokko48513 | 2018-01-17 19:32 | 雑記帳 | Comments(0)

好奇心旺盛と明るさがとりえの旅大好き人間・・おもむくままの旅模様&etc.etc


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