2017年 04月 26日
12年目の「JR福知山線脱線事故」に思うこと・・・
昨日12年目を迎えた尼崎「JR福知山線脱線事故」。
テレビニュースに映る、通過列車の長い哀悼の警笛の音に涙があふれてきた。
12年前のあの朝、10時から始まる大阪・梅田の「NHKカルチャーセンター」へ、
宝塚・すみれガ丘の自宅マンションを原付バイクで出て、月極め契約の宝塚駅
駐輪場に預け、JR宝塚駅から快速列車に乗り込んだ。
その列車が、あの事故を起こした列車の3分後に発車したものだった。
もし、途中の信号の二つ三つがスムーズに通過していたり、バイクのスピード
を速くして、駐輪場に着くのが早くなっていたら、あの列車に乗っていたかも
しれなかった私。
途中、川西池田で「前の列車の踏切事故で運行不能になった」という車内アナ
ウンスに、急いで阪急電車に乗り換えて梅田に向かい、少し遅れて教室に飛び
込んだ。
まさか、あんな大惨事になっているとはつゆ知らず・・・
いつも大阪へJRで向かう時、大阪駅の停車位置の便利さで、必ず2両目に乗って
いた私。
今、マンションの形は当時とは変わったが、あの時突っ込んだ2両目の車両が
一番死傷者も多く、凄まじい状態になっていたという事実・・・
授業を終わって出てきたセンターのロビーのテレビ画面にずっと映し出される
身の毛もよだつ大事故の惨状を目にして、あの時ほど背筋が凍り、歯の根も
合わず、全身に走る大きな震えはなかなか止まらず、それまで経験したことが
ないものだったのを今も覚えている。
107人の方々が亡くなられ、562人もの方たちが重軽傷を負われたと知った時、
3分間の時間差で生かされている自分の命を、これからの人生、長いか短いかは
わからないけれど、大事に生きなければ・・・と思ったものだった。
亡くなられた皆さんと、今も苦しまれる犠牲者の皆さんに心からの哀悼の意と
お見舞いを申し上げます。
77年余りの私の人生において、阪神淡路大震災、2005年のイギリス・ロンドン
同時爆破テロ、2010年スイスで起きた観光列車「氷河特急」の脱線・転覆事故
・・・ほか、すんでのところでいくつもの命拾いをしているが、阪神大震災と共に
このJR脱線事故は、最大の「死」と隣り合わせの「命拾い」だったと思う。
今、生きていることに感謝!、感謝!!