「決定版 ポーランド 10日間」その6

2連泊の「クラクフ」、5/13(日)今日もいい天気! 朝の出発時の気温17℃。

今日のコースは、今回のツアーで一番重い日になるだろう・・・
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ホテル8:30に出て、世界遺産「クラクフ歴史地区」を約3時間かけての観光から。

ポーランドで最も歴史ある都市の一つで、17世紀初頭に現在の首都ワルシャワに遷都
するまでは、クラクフがポーランド王国の首都であった。
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ポーランドの工業、文化の主要な中心地で、ヴィスワ川の上流に位置し、市街地は
ヴァヴェル城を中心として川の両岸に広がっている大きな街。

現地ガイドは中年男性のルーカスさん。
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いつもは大渋滞するらしい市内も日曜でスイスイ進み、ホテルから10分余り走って
「ヴァヴェル城」へ。

バスを降りて城に向かっていると、民族衣装を身に着けた人があちこちから多数お城に
向かってパレード状態で集まってきているのに遭遇した。
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教会単位で参加する、かなり大規模なパレードが始まるという。

大聖堂や博物館ほか有料の見学場所はいくつもあるが、我らは外側からだけの
見学となる。
それでも一時間ほど、歩きっぱなしの見学となった。
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ヴィスワ川を見下ろしながら城を進み、“火を噴く青銅の龍”等もあって、地元の
家族連れで賑わっている。

火を噴いた瞬間の写真を撮ったのだが、炎は写っていなかった。 残念!
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お城をあとにして、歩いて旧市街へ移動する。

中央市場広場が近づいて、そこにある「聖マリア教会」で11時丁度に着いたら1時間
ごとにナマのラッパ演奏があり、中世の頃、敵襲を受けた時に街に知らすために四方から
ラッパで知らせたという名残りらしい。 丁度間に合ったが高すぎて姿は見えなかった。
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この教会は13世紀初めに建造されたゴシック様式の建物で、 教会内部にある聖壇は、
ヨーロッパで第2位の高さをもつ木造彫刻で国宝に指定されている。
また、高さ13メートルというヨーロッパ最大級の祭壇画もあるらしいが、ここも外から
の見学だけ。 素晴らしいというが見られなくて残念!
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中央広場にあるのが「織物会館」で、中世時代、東西の物品が集まる貿易の拠点だった
クラクフで、その中心的な役割を担った建物。
当時は、中国から来た絹やイギリスのウールなどが取引されていたらしい。
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ルネサンス様式の建物は、外から見ているだけでも美しく、館内には、民芸品や革製品、
アクセサリーなどの小さな店がぎっしり並んでいて、クラクフ土産を買うのにもってこい
の場所だが、地元のzlかユーロしか使えず、クレジットカードは使えないという。

私、ユーロも残りわずかで、zlも飲み物やトイレ代として残しておきたくて、再両替は
お札しかできないので、zlへの両替の追加はしたくなくてここは見て回るだけにする。
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反対側に回ると高い時計塔があり、19世紀に取り壊された旧市庁舎のもので、これだけ
が残り、階段を上がると展望台になっていて、地下は牢獄だったという。
(ルーカスさんの説明では、大戦の時に爆撃を受けて、時計塔だけが残ったとのこと
だったが、インターネットで調べると“取り壊し”と出て、どちらが正しいのだろう?)

ルーカスさんとはランチに向かう町中のバス停でお別れ。 
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10分余りバス移動してランチのレストラン「中華宮」へ。

私、いつも思うこと。
ポーランドに来たらポーランド料理、その国のものを食べるのが一番で、日本料理や
中華料理をどうして食べなければならないのか・・・と、これが不満になる。
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スープと5種類の中華料理をひとつの皿に取り分けて食べる。 まるで“猫まんま”
デザートは杏仁豆腐を期待したが、予算の都合だろうが小さなリンゴひと切れだけ。

午後の観光は、日本で出発前に≪選べるプラン≫として『プランA』が、負の世界遺産
「アウシュヴィッツ強制収容所&ビルケナウ第二強制収容所(博物館)」、『B』が
「クラクフ市内での自由行動」。
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27名中、32才の同年女性二人連れの方だけが『B』、あとは全員『A』へ。

この目で、第二次大戦を経験したものとして見ておきたいし、地球上に二度と繰り返し
てはならないこととして、目をそらさずに確認しておきたいという思い。
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クラクフから西へ約70キロ、移動時間1時間半ほどで到着。 気温26.5度。

ここでポーランド在住の、厳しい国家試験を受けて、アウシュヴィッツ&ビルケナウ専門
ガイドの資格を得た唯一人の日本人ガイド中谷 剛さんと15時に待ち合わせをしている。
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中谷さん到着と同時に、ガイドブックやマスコミ関係でおなじみの『ARBEIT MACHT FREI
(働けば自由になる)』と記されている正門をくぐって30程ある施設を順に回っていく。

施設を囲む鉄条網の金網柵には220ボルトの電流が流されていたという。
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到着するとすぐ、ドイツ軍医が顔色を見て働けるかどうかを判定する「選別」が行われ、
約75%が働けないと判断され集められると、そのままガス室に送られたという。
その際「シャワーを浴びる」と伝えられたそうで、隣室には焼却炉の施設があった。
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「安住の地を与える」と言われて連れて来られた人々は大抵、全財産を持ってやって来て
いて、人々から没収した荷物を仕分けしている様子の写真もあった。

ガス室に投げ入れて使ったチクロンBという名の毒薬(ガス)や、食器類、カバンや靴類
など、もの凄い数のものがガラス張りの部屋に展示されていて、撮影禁止の髪の毛ほか
凄まじくて正視できないもの、カメラを向けることのできないものが多数あった。
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銃殺を行った「死の壁」には身内や遺族の方々が供えられた花々がたくさん置かれていた。



ビルケナウ第2強制収容所はすぐ近く。歩いて移動。
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こちらのほうが広くて、1.75キロ平方メートル、東京ドーム37個分、1944年の
ピーク時には9万人の人が収容されていたという。

鉄道の線路を挟んで右が男性、左側が一時アンネも収容されていた女性の棟。
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三段の棚式ベッドで一つに二人ずつ、1棟に約400人、8~11時間働かされ、トイレは
自由に使用できず、一日2回、指定された時間のみ。

第一収容所より大きなガス室があったのだが、戦況が悪くなると、ドイツ政府は証拠隠滅
のためガス棟を爆破して、その跡が残っている。
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中谷さんに案内してもらって、詳しく聞けば聞くほど気持ちがどんどん重くなって、
どうしてそんなドイツと連盟を組んだのかと日本のバカさに腹が立つ、腹が立つ!
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「ここは勉強の場です。観光地ではありません。年間220万人の人が来られますが、
外国からは年配の人が多く、次の世代の人、またその次の世代の人にもっと来てほしい
場所で、地元ポーランドは生徒・学生の社会勉強の場として、今日もご覧のように
たくさん来ていますが、日本からももっと多くの方、若い方々に来てほしい場所です。
日本の方は、ガイド説明の最後に手をたたかれますが、ここは大声を出したり、笑ったり
手をたたいたりする場所ではありません。遺族の方もおられるかもしれません。
手は絶対にたたかないでください。」と。
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また、「二度と繰り返してはならないこと。これから世界を動かしていく若い方々に、
この現実を見て、知って、どう行動・発言をすればいいかを考えてほしい・・・」と、
最後の挨拶をされた。
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なのに、中谷さんの目の前にいた50代の女性、バカもいいところ、終わった途端に
手を叩こうとした。
一つ叩いたところで、私、「ダメよ、手はたたかないで!」と注意!!ちゃんと聞け!!
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中谷さん、日本からのツアーで取り合いになるらしい。
英語のガイドさんから聞いて翻訳するとしたら、添乗員さん、ここは大変だわ!!

その中谷さん、5/15には日本に飛んで、長野で講演会をされるというのをインター
ネットで拝見したが、最後のワルシャワで初めて出会った日本のツアー客が、この
中谷さんにアウシュヴィツを案内して貰うと仰っていたので、とんぼ返りなのだろう。

2時間半予定が3時間の見学となった。
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あとはクラクフのホテルまで戻って≪選べるプランB≫で、①オプショナルツアーの、
夕食付きで「カジミエシュ地区と民族音楽の夕べ」ひとり9000円と、
②クラクフでの自由行動。

11名がオプショナルツアー参加で、私を含む16名が自由時間。

ホテルに帰り着いたのは19:00過ぎ。 2万歩近い歩数、疲れた!
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夕食は自由なので、一旦部屋に戻り、ちょっと・・・とベッドに横になったら寝て
しまって、なんと目を覚ましたのが21:30。

夕食はホテルレストランで食べよう!と思っていたので、ラストオーダー22:00、
急いでレストランへ。

エレベーターから出た途端、民族音楽に行っていた人たちとばったり・・・お帰り!
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時間が遅いので、重いものはやめて軽めで行こうと、それでもビールは呑みたい!
(痔が出たのに呑むのかい?だが・・・呑む!!)
と、メニューからこの地のウインナーや玉子、野菜がイッパイ入った具だくさんの
スパイシーなスープとビールを頼む。

先にパンとプリッツみたいなのが出て来て、ビールのあてに美味しく頂く。

結構、長い時間かかって出てきたスープの美味しかったこと!!
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今朝の失敗。
冷めたコーヒーを、湯沸かしポットで沸かしたら、お湯だと大丈夫なのになぜか
沸騰した時、爆発状態で吹きこぼれた。気をつけよう!!

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そして、10日に一番の危機と思った“痔”が今朝もまたまた顔を出し、結構な出血
で、トイレのある所、尿意がなくとも無料・有料関係なく入っておくようにした。

「ボラギノール」のお世話になり、柳井市のH茂さんのスマホの歩数計に出た
19100歩の歩数、何とか強行日程を乗り切ることができた。

14日以降、帰国後も“痔”は全く顔を出さずに今日に至っている。有難い!
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明日のモーニングコールは6:30。
重い重い一日だった。 いつもの作業をして、入浴、就寝。 

by kokko48513 | 2018-05-27 02:33 | 旅のつれづれ | Comments(0)